新型駆逐艦計画にあたっての論争

 2207年、デザリアム戦役による地球本土占領の被害復興もある程度の目途が立ち、地球防衛軍は損耗した艦隊の再編を行うべく軍備計画の立案を行おうとしていた。
 この時期の防衛軍はいわゆる『新・波動砲艦隊』と呼ばれる波動砲艦隊の再建を目指す派閥が多くを占めていたこともあり、その中核はB型戦艦(筆者注・原作完結編に登場する戦艦のこと)を中心とした波動砲搭載艦で、またデザリアム本星直撃によって戦役に勝利したことから、戦艦は元より巡洋艦、駆逐艦も既存艦より大型化、外宇宙における行動能力の拡充を図ることに主眼が置かれていた。

 これを地球防衛軍の宇宙軍化、地球連邦政府の侵略指向ではないかという批判もなくはなかったが、実際のところ連邦政府も防衛軍もそこまで考えていたわけではなかったようで、あくまで外宇宙において敵対勢力を迎撃することを志向した軍備であったようだ。だが、既存艦の多くを二線級に下げた上で新造艦の大量建造に走るあたり、そこに政府や軍、軍需産業の利権が関わっているのでは、という噂は当時から絶えなかったようである。

 ともあれ、新兵器である拡大波動砲を搭載した大型戦艦と、それを補助する集束、拡散波動砲を搭載する(どちらの波動砲を搭載するかについては、比率は1:1とされていた)巡洋戦艦と呼ぶべき巡洋艦の量産については、防衛軍首脳部の強い主張が通って紆余曲折がありながらも承認された。
 だが、ここで防衛軍首脳部と、実際にそれらの艦を運用する艦隊側とである議題が紛糾する。それは、このような過程でそれぞれが大型化した新鋭艦を護衛すべき、駆逐艦についてであった。

 防衛軍首脳部は、駆逐艦も巡洋艦に合わせてやはり大型化し、少数ながら戦艦と同等の主砲を搭載した『重駆逐艦』を提案した。しかし艦隊側、特にこれまで小型の、ガミラス大戦以来の突撃駆逐艦の系譜を受け継いだ艦を運用していた艦隊内の宙雷部門が、これに猛反発したのである。
 首脳部が提案した駆逐艦は、後に『秋月型』と呼ばれるようになるC型駆逐艦(筆者注・原作完結編に登場する駆逐艦)のほぼ原形と言ってよいものだった。そして、その原案を見た艦隊側は「駆逐艦としてはあまりに大きすぎる」という点を問題視し「際限のない駆逐艦の大型化は艦隊運動に対して悪影響を与える」と論陣を張った。

 その反対論を主張する者たちの代表になったのは、ガミラス大戦以来の歴戦の士官であり、デザリアム戦役まで艦隊指揮官を務め、当時は地球防衛軍司令部付きとなっていた堀田真司宙将補であった。

 彼は本来、政治的な閥を作る気など毛頭なく、防衛軍首脳部と激論を戦わせる意図もなかったようである。だが、事が自身の専門である宙雷戦に大きく関わること、そして艦隊指揮官の一人としていわゆる『宙雷閥』を代表することを強いられる立場であったことから(このことは極めて不本意だったと、後に彼自身が書き残している)、自身の経験に基づいて防衛軍首脳部と論戦を行うことになった。

 堀田がいわゆる『重駆逐艦』に対して示していた懸念は、具体的には以下の通りであった。

 ・大口径砲の搭載により砲の門数が不足し、多方向からの攻撃への対処が困難
 ・艦型が大に過ぎて戦術的機動力が低下し、敵が行う可能性のある機動戦に対処できるか甚だ不安がある
 ・大型化による被弾面積の増加は、機動戦を行う必要のある駆逐艦にとっては無視できない要素である
 ・船体の大型化により量産性が低下すれば、艦隊内における駆逐艦の絶対数が不足する危険がある
 ・魚雷の威力向上が遅れている現状、主兵装をショックカノンのみに依存するのは、それが通用しない局面において大きな問題が生じる

 これらの懸念から、堀田は「外宇宙における運用能力向上が必要なのは認めるが、そのために200m級まで艦を大型化する必要が本当にあるか再検討していただきたい」と進言したのだが、彼は普段の言行がいわゆる『上に厳しい』ものであり、また彼から見て必要以上に艦を大型化させることが、艦の建造費を高騰させているだけに写ったことから「この艦隊はあなた方の金もうけのためのものですか?」という激烈な批判を加えてしまったこともあって、この具申は全く無視されてしまい、ほぼ『予定通り』といった感じで『重駆逐艦』である秋月型(C型)駆逐艦の建造が決定されたのだった。


『堀田私案』とある試作艦の建造

 この決定に、特に宙雷閥の士官たちの不満は頂点に達していたが、一度決定されたことを覆すほどの政治力を当時の彼らは持ち合わせていなかったし、何よりその代表であるはずの堀田が「これ以上、上層部と争えば軍が割れる危険がある」となだめていたこともあって、当面の暴発は何とか防がれた。
 しかし堀田個人としては、決定されたこととはいえ将来を見据えて何かしら対処しなければ、自分が主張した懸念が現実となることを恐れた。繰り返すが、彼はガミラス大戦以来の艦隊士官であり、最初の敵手であるガミラス軍が機動戦を得意とし、ガミラスとの安保条約締結後はその戦法を熱心に学んできたのである。だから、自分の懸念がいつか現実化する危険を強く感じていた。

 そんな堀田にとって、実はある幸運が訪れていた。それは同期の親友であり、先に宙将に昇進していた高石範義が、デザリアム戦役終結後の人事で、艦艇の設計、建造を担当する艦政本部の部長に就任したことだった。
 いささか私的な縁を利用することになったが、堀田は自分の新型駆逐艦に対する懸念を高石に再度主張し、更に自らが『多目的運用が可能と思われる、護衛艦としても突撃駆逐艦としても使用できる駆逐艦』として概要を纏めた私案を提出したのである。

 高石は砲術が専門であり、正直なところ人的被害が大きくなりがちな宙雷突撃に関してはやや否定的な見解を持っていたようだが、堀田が提出した私案を自分なりに再検討してみたところ『必ずしも突撃のみを想定した艦ではない』と判断し、この私案を艦政本部で現実化してもよいのではないかと考えるようになった。
 だが、当時の艦政本部は新鋭艦の設計に多忙であり、とても量産の予定がない艦を設計するだけの余裕はなかった。まして波動砲艦隊閥から嫌われている堀田が出した私案を具体化するなど、発覚すれば下手をすると高石が更迭されるという事態まで考えられた。それでは元も子もないのだ。

 どうしたものかと思案した高石だったが、ここでもう一つの幸運が訪れる。地球防衛軍はこの時期『次世代型小型大出力波動機関の開発を行う』という計画を立案し、そのための試作艦を一隻のみだが、建造することに決定したのである。
 この試作艦は必ずしも駆逐艦を想定したものではなく、いかに大出力波動機関を小型化できるかに主眼が置かれたものだった(状況によっては、この小型機関を双発にした艦の建造も考えられていたと思われる)。だが、それは言い換えてしまえば『駆逐艦相当の艦で試作しても問題ない』ということでもあったから、高石はこれを利用することにした。そして、利用できる『種』はまだ他にもあったので、高石はそれも利用してこのような意見を提出した。

 『大出力小型波動機関を搭載する試作艦の建造は、船団護衛用小型艦の試作を兼ねて行いたい』

 確かに、C型駆逐艦は艦隊用の駆逐艦であり、船団護衛用としてはさすがに大型に過ぎた。また、ガトランティス戦役以来のA型、B型駆逐艦はさすがに装備が陳腐化しつつあったし、船団護衛に用いるには武装に不適当な面が多々見られた。ちょうど正面戦力たる艦隊整備に邁進していた防衛軍首脳部は護衛艦の建造に気が回っていなかったこともあり、この高石の意見を渡りに船と採用することにした。

 こうして『大出力小型波動機関を搭載した、次世代護衛艦の試作艦』という、一見アンバランスな艦の設計計画がスタートした。もっともこれは当時の防衛軍にとってことさら不合理だったわけではなく、何らかの形で大出力小型波動機関をテストでき、更に次世代型護衛艦の試作も同時に行えるというのは、量産艦を重視し極力試作艦を減らしたかった防衛軍首脳部にとっては都合のよいものだったのである。艦政本部の、というより高石を通した堀田の私案が奇妙とも言える形で採用に至ったのは、そうした事情があったものと考慮される。


露呈された欠陥

 太陽危機による建造数の縮小、移民船兼用艦への改造などの紆余曲折を経ながら、C型駆逐艦の量産は続行して行われた。だが、堀田らが懸念した通りその数は艦隊側にとって『護衛艦として』十分な数とは言い難いものであり、宙雷閥はこの点の問題を繰り返し主張したのだが、相変わらず防衛軍首脳部の容れるところにはならなかった。

 そんな状況で、ディンギル戦役が勃発する。この、ハイパー放射ミサイルという強力なミサイル兵器を有する多数の宙雷艇を用いた飽和攻撃を得意とした敵に対して、個艦としての防空能力は十分だったC型駆逐艦はその数の不足から艦隊単位での防空力の不足を露呈し、また艦が大型すぎたが故にディンギル軍の宙雷艇部隊に対して積極的な迎撃策を採ることができず、一連の会戦で奮戦しつつも大損害を出し、護衛すべき戦艦、巡洋艦部隊も壊滅的な被害を出した。戦役そのものは何とか地球側の勝利で終わったが、この許容範囲を遥かに超える犠牲は防衛軍首脳部、特に波動砲艦隊閥の者たちにとって全く想像できないものであった。
 また、この戦役でそれまで整備された『新・波動砲艦隊』が、その弱点を突かれると全く機能しないことが判明してしまったことで、以降、波動砲艦隊閥はその勢力を一気に減じ、防衛軍の主流から転げ落ちることとなった。

 そうした政治的なことは本題から外れるため深くは触れないが、いずれにせよ地球防衛軍は、当面の勢力圏、特に太陽系本土を防衛するための戦力を早急に整える必要に迫られた。しかし、大型化した戦艦や巡洋艦を再び多数建造するだけの国力も時間も残されておらず、必然、方法は他のものに限られた。

 防衛軍は、本土防衛の戦力として基地航空隊。そして比較的早急に建造できる、当時ようやく完成した新型の波動魚雷を搭載した中型駆逐艦によって編成された宙雷戦隊の整備を開始することとした。
 そして、その『中型駆逐艦』の雛型として目をつけられたのは、当時大出力小型波動機関の試験を終えて予備艦とされていた、仮称艦名『D-172』。いわゆる『堀田私案』の隠れ蓑となっていた、艦政本部が設計した試作艦だったのである。